「平安あれ」ヨハネ福音書20:19~23
イエスはよみがえられました。弟子たちは恐れから、反対派はあせりから、共に不安と混乱を覚えていました。不安は不信仰から発します。一般的に「平安」というと無事で穏やかなこと。変わったことがなく安らかであることを意味します。人は将来の衣食住の安心を求めます。立場や環境により求め方が異なってきます。これが足らない。あれが欲しい。不足の解決手段として戦争が始まることがあります。しかし、世のあらゆる方法を用いても満たされないのが人の欲望です。一時しのぎで財産を蓄える蔵は満たされても、それを守るためあくせくし、しかも物質はそのうち無くなります。聖書の言わんとする平安と祝福は(魂が)満ち満ちた状態(充満・充足しているの意)のことです。イエスは十字架にかかる前から「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる(ヨハネ14:27)」と、平安について教えていました。「あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない(ヨハネ16:22)」十字架でイエスが死なれ不安でたまらないかもしれないが、主の復活を体験し、後に聖霊の注ぎにより福音の真意の理解が深まるにつれ、圧倒的な平安が来るのです。「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである(ヨハネ16:33)」この世では試練があり誘惑があります。恐れることはない、勇気を出しなさいとイエスは励まして下さるお方です。イエスは信じる者が真の平安を得るため、罪の赦しと永遠のいのちについてよく理解できるように、聖霊を送って下さいました。助け主なる聖霊に満たされ、導かれ歩もうではありませんか。