サムエル記下24章
古代において、人口調査というのは、主に兵力を把握したり、税金を徴収するために行われました。旧約聖書の民数記の中でも、神の命令によって2度にわたって人口調査が行われています。なぜダビデの人口調査だけが、罪とされたのでしょうか?民数記の中で行われた調査は、神様が直接モーセに命じて行ったものでした。しかし、ダビデの場合は、神様の力よりも、軍事的な力を求め、自らが思い立って人口調査に乗り出した。言い換えれば、信頼と安心を求めるところを間違えた、つまり人口調査という行為自体が罪なのではなく、それを行おうとした動機に問題があるのです。イスラエルの戦いにおいて重要なことは、兵士の数ではなく、神様を信頼する信仰なのです。ダビデはこの住民登録の命令を軍団長ヨアブに出しました。「なぜ、このようなことを望むのですか?」あのヨアブでさえ疑問を提示しているのです。しかし、4節にあるようにダビデの言葉は激しく、誰も反論できませんでした。結果、彼らは大変な労力をかけて、イスラエル全土の兵士数を調査することになります。報告を聞いてから、ダビデは良心のとがめを感じたとあるように、自分の欲、目に見える力や数で誇りたいという驕り高ぶりに気づきました。ダビデが「大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください」と祈り求めると翌朝、預言者ガドに主の言葉が臨み、イスラエル全土に対する裁きを言い渡されます。ダビデ自身の過ちに対して3日間の疫病で7万人が死ぬという災いがもたらされたように見受けられますが、この箇所の冒頭で「主の怒りが再びイスラエルに燃え上がった」とあるように、神はあなどりの罪に対し、イスラエルの民たちに預言者やみことばの啓示をしたが悔い改めない為、ダビデをそそのかして人口調査をさせ、王であるダビデのとりなしの祈りによって国を滅ぼすのを思い直されます。神様は自分で気づいて立ち返ることを忍耐し待っておられます。それでもなお、悔い改めない時に、大きな戒めをもって目を覚まさせることがあるのです。ダビデの思いつきは神の御手の中で、サタンの悪意を用いて(歴Ⅰ21:1)イスラエルのきよめとなるよう用いられました。神はイスラエルを愛しておられ、さばきと悔い改めの機会を備えられたのです。やがてこの悔い改めの場所に、ソロモンの神殿が建てられていくのです。度重なる間違い、繰り返す失敗があります。主はそこに悔い改めの実を結ばせ、赦しを与えられるだけでなく、新しい祝福をくださるお方です。